みなさんこんばんは!
蒸し暑く寝苦しいシーズンに突入しましたが、しっかり眠れておりますでしょうか?
今回の記事は、
誰もが普通に生きる『ノーマライゼーション』(後編)
私たち障害者があたりまえに生きることができる素晴らしさを書いています。
前編記事のアップは5/27だったので、かなり間が空いてしまいましたね・・・
前編記事をまだお読みでない方、忘れてしまった方はこちらからよろしくお願いします!!
集団で食事をし、集団で作業をし、集団で寝て、毎日同じ人間が顔を突き合わせ、外に自由に出ることもできない生活、
これでは拘束されていたナチスの強制収容所と
何も変わらないではないか…
こんな状態に、入所している知的なハンディキャップを持つ子の親たちも疑問を感じていたのです。バンクミケルセンは、そんな親たちのために「親の会」を提唱し、1952年に結成されます。これは世界初の知的障がい者の「親の会」になります。
バンクミケルセンはその時、親たちとも話し合い、この活動の名称をいろいろと考えました。色々な案のなかで「ノーマライゼーション」という言葉が選ばれ、世界共通の言葉となっていきます。
バンクミケルセンと親たちは「ノーマライゼーション」の理念を基にした法改正を求めていきます。
『障害を持っていても彼らは人格を持っており、普通の人と同じように暮らす権利がある。彼らのために出来得る限り普通の生活条件を創造する責任が社会にはある』
と訴えていきました。
そして、親の会だけでなく医師や官僚などの有識者との会議を重ねて、ついに1959年にノーマライゼーションという言葉と理念を取り入れた法律、
1959年法
が成立しました。
やがて、この思想はベンクト・二ィリエによってスウェーデンに持ち込まれ、スウェーデンから世界へと広まっていくのでした。
そして、バンクミケルセンは『ノーマライゼーションの生みの親』
ベンクト・二ィリエは『ノーマライゼーションの育ての親』と呼ばれるようになりました。
ベンクト・二ィリエ (1924-2006) スウェーデン生まれ
バンクミケルセンがもともと新聞記者でメディアの人間だったということで、メディアの力を上手く使ってノーマライゼーションは広まっていったそうです。
そして戦後の超大国アメリカにも大きな影響を与えることとなり、国際的にも人権意識が高まっていきました。
1966年『世界人権規約』
➡障害者に関する差別禁止事項は盛り込まれていない
1971年『知的障害者の権利条約』
➡最大限可能な限りの『平等』がうたわれる
1975年『障害者の権利宣言』
➡『平等』がうたわれる ※平等が当たり前
2006年『2006年障害者権利条約』
➡日本は2014年に批准、世界で140番目の遅さ
2.ノーマライゼーションの意味、理念、歴史
厚生労働省は『障害者雇用促進法』の概要説明のなかで、
『ノーマライゼーション』とは「障がい者が他の一般市民と同様に社会の一員として種々の分野の活動に参加することができるようにしていこうとする理念」
としています。英語では「正常化」という意味で、
「高齢者や障がい者などを施設に隔離したり閉じ込めたりせずに、健常者と一緒に助け合いながら暮らしていくことこそ正常な社会の在り方である」
とする考え方になります。つまり「正常な社会」とは、高齢者も障がい者もともに普通に暮らせる社会のことであり、そのような社会を達成しようとすることが「ノーマライゼーション」であるという考え方なのです。
これは、障害者を支援や訓練をさせて社会に適応させるというよりは、社会の側が障害者が普通に生活しやすいように変化していこうというものです。
かつては上記に『隔離したり閉じ込めたり』とあるように、精神疾患や知的障害のある方は人里離れた山奥の施設に集団で隔離して集団生活することを余儀なくされていました。日本でも古くは家の中に座敷牢などを作って閉じ込めておくようなことも普通に行われていたのです。
そうです、日本でも1950年頃まではそのような状態だったのです。
私たち精神障害者が今のように普通に街中で暮らせるのも、バンクミケルセンやベンクト・二ィリエのような先駆者たちの努力があってこその当たり前なのですね。
でもまだまだ障害者の雇用問題など問題課題はたくさんあります。
それは私たち世代の問題であり、私たち自身のためにも未来の社会的弱者のためにも、私たち世代で変えていきたいですね!
それではまた次の記事でお会いできるのを楽しみにしております!!
トップ画像:ジョブサポートパワー
参考資料:わたしたちのノーマライゼーション
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