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ソクラテス、論語、0、安西監督、そして精神疾患の回復 (2149Words)



無知の知


古代ギリシアの哲学者ソクラテスは、




自分の知識が完全でないことに気が付いている、無知であることを知っている




人の方が、知識をひけらかす知識人よりも優れていると説きました。





論語


また、孔子の言葉がまとめられた論語の中には、




知るを知るとなし、知らざるを知らずとなす、これ知るなり




と、無知の知とほぼ同じ意味の記述があります。




※これらは「無知が良い」という意味ではなく、「無知であることを自覚することで、新たな学びを行うことを促進し、その結果無知を克服し成長する」ことを意味しています。


(※解釈には諸説あります)





0の概念


最初にゼロというものを定義したのは7世紀のインドの数学者・ブラーマグプタという人物だったそうです。




当時文明の最先端だったヨーロッパよりはるか以前に、インドでゼロが発見されていました。




0の発明によって、その後の数学や科学の発展にとても大きく貢献しました。





安西監督


漫画「スラムダンク」の中で、湘北高校の安西監督は、




下手くその上級者への道のりは、己が下手さを知りて一歩目




と仰っていました。





精神疾患の回復の第一歩を踏み出すまで・・


ソクラテス、論語、ゼロの発明、そして安西監督の言葉、




これらの中に共通している考え方は、精神疾患の回復過程ととてもよく似ていると個人的に感じています。




私は双極性障害Ⅱ型を患っています。




症状が出始めたのが26年前、ちょうど中学に上がった頃、




内科医の勧めで初めて精神科に行ったのが21年前の高校3年あたりでした。




そのとき医師には自律神経失調症と言われました。




当時家庭がとても荒れていたのでそのストレスのせいだと思い込んでいました。




自分は精神疾患だという意識はほとんどありませんでした。




すべては家庭が荒れているせいだと思い込んでいました。




1ヵ月寝込んでは1ヵ月予備校に行ってを2年繰り返し、やっと大学入学。




上京し独り暮らしを始めるや否や、薬はすべて捨て、病院(精神科)に行くこともありませんでした。




頭の中から精神科は消えていました。




東京に行き、家族の元を離れた私は、鳥かごから解き放たれた鳥の如く軽躁状態に入っていました。




クラスの飲み会を仕切ったり授業の中心的な役割を果たした私は「リーダー」というニックネームがつけられました。




しかしその3か月後の7月、初めての前期試験2週間前、




皆がノートのコピーを集め始めた頃、私の軽躁は一気に鬱に転落しました。




アパートのシャッターを閉め切って、完全なる漆黒の闇の中で約3週間寝たきりになりました。




鬱が抜けた頃、大学は既に夏休み、前期の単位はほぼすべて落としました。




それでもまだ病識に欠けていた私は、精神科に行くことなく夏休みを過ごしていました。




鬱の後の軽躁の影響で、すぐにバイトを始めました。




渋谷の歌〇場、当時日本一の客数を誇った、普段の私だったら間違いなく選ばない仕事。




そんな軽躁パワーで始めたバイトも、躁の魔法が解け、鬱期に入るとまったく出勤できなくなり、1∼2ヵ月で辞める形に・・・




ちょうど大学の後期が始まった時期とも重なって、大学にも行かなくなってしまいました。




大学1年の11月頃、初めて私は、




これはヤバいかもしれない・・・



なんとかしなければ人生が大変なことになる・・・




そう肌で実感するようになりました。




症状が出始めた13歳から7年が過ぎ、やっと事の重大さに気付いたのです




それまではずっと『皆そんなもんだろう』と思っていたのです。




友人に見つからないように気を付けながら、お金のかからない大学の校医に自分の意志で診察してもらいに行きました。




そして、大学の保険で無料診察のできる精神科クリニックを紹介してもらいました。




そこで初めて「うつ病」と診察され、抗うつ薬を処方されました。




帰りに書店に寄り、うつ病に関する本を2冊買って家でむさぼるように読んだのです。




自分の過去数年間を思い出しながら本を読み進めていくうちに、自分の疾患は「うつ病」ではなく、「双極性障害Ⅱ型」だと確信するようになりました。




そして、主治医に今までの自分の状態を詳細に説明して、うつ病の治療から双極性障害の治療に変わったのです。




救世主、炭酸リチウム(リーマス)との出会いです。





無知の知と本当の治療のスタート


さて、ここから先の話を書くと10,000字くらい必要になりそうなのでここで止めておきます。




今から振り返ってみると、初めて症状が出始めたのが中学1年の頃、




初めて精神科に行ったのは高校3年、




そして、初めて自分自身で『これはヤバい』と気づき、自分で本を購入し勉強し始めた20歳の冬、




実に7年の歳月、自分の無知を知らずに過ごしていました。




『無知の知』を知り、これまで7年間ずっと『0』にいたことを悟ったところから、本当の私の治療が始まったのです。






まとめ


精神疾患の回復のスタートは、自分の無知を知ることだと思います。




自分はまだ0の状態だということを理解すること。




そこがスタートライン。




無知を理解し、自分が今0にいるということを悟ることで初めて、真剣に自分の病気について勉強し、薬についても調べ、再発させないための方法や、再発してしまったときの対処法など自ら率先して学ぶでしょう。




ひとりでも多くの方が回復のスタートラインに立てることを願って





THE END

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