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声を出すことの大切さ ∼後編∼ (1556Words)


前回の『前編』から約3週間も空けてしまい失礼いたしました



今回の記事は前回のつづき、




声を出すことの大切さ ∼後編∼








『ダム決壊』それはほんの一瞬、ささいなことだった



家族の誰とも顔をあわさぬように、日中は5畳の狭い部屋でストックされていた

睡眠薬を飲んで「寝逃げ」して過ごしたり



ひたすら悲観的なことばかりを考えて過ごしたり



そして家族全員が寝た深夜1時頃にリビングに降りて少しだけのリラックスタイム



自室よりも広い空間に解放感を感じることができました



そして、家族が朝起きてくる6時前にはまた苦しく狭い自室に戻って耐える日々



気が付けば言葉一つも発さぬまま数カ月が経っていました




深夜、親と久しぶりに顔をあわせる



ある日の深夜、私のストレスはピークを通り越して少しずつあぶれだしていました



その日は母親が深夜のTV番組を見ていたせいもあってか

1時を過ぎてもリビングを出る気配がありませんでした



私の心の中(早く寝ろで~~~~~~~~~~~~!!!!



とにかく狭い部屋に起きている間ずっとこもっているのは本当につらかったです



カゴのに閉じ込められた鳥の気持ちはこんな感じかと思いました



そして、深夜2時頃、私のストレスダムのストレスが溢れ出しました



狭い部屋を出て、階段を降り、私は数カ月ぶりにまともに母親の顔を見ました



(福島弁)


いづまで起ぎでんだで!! 2時だべ!早ぐ寝ろで!!


数カ月ぶりの声、魂の叫び



大噴火



そこからどのくらいの時間、母に溜まりに溜まったストレスをぶつけたんだろう・・・



ほとんど憶えていない



唯一憶えているのは




私『俺の障がいの名前分がってんの??



母『なんだっけが・・・???



私『病院に通って10年以上たって、人生ぐちゃぐちゃになってんのに

病名さえ知らね~何てマジあり得なぐね!?!?



私『俺が親で自分の子供が何かの病気になって苦しんでたら本買ったり

ネットで調べたりすっから!!!!



このやりとりだけは憶えています



そして、病名すら覚えてなかった親に対して、さらにダムは大きく決壊しました



そのまま外に出て、母親が育てていた鉢植えの花を次々と空高く放り投げました




怒りと理性



この時、親からしてみれば私は完全にブチ切れてしまったと思ったかもしれません



でも実際はかなり理性も働いていました



どの鉢が安いとかある程度把握して

さらに庭の土の上に落ちて被害が最小限になるよう計算して放り投げていました


庭に置いてある真鍮のテーブルと椅子のセットもAmazonで安く買えると知っていたので

破壊しました (壊したあと弁償)



高いものには手をつけてません(笑)




そして最後に深夜、空に向かって叫びました



2回、3回『うあーーーーーーーーーーーーーーーー!!!』と





心の奥底に溜まったストレスの塊をひねり出すように・・・




でもこれも計算済みでした



近所に重い障がいを抱えた方がいて、その方がしょっちゅう叫んでいるので

近隣住民は叫びに慣れていたのです(笑)




声を出すこと・悩みを話すこと



2回、3回、叫んだあと、私の心は雨上がりの空のように晴れ上がっていました



数カ月の間、誰とも話さず狭い部屋でこもっていた私は、

信じられないほどのストレスを溜めこんでいたということ



そして、いかに声を出すことが重要かを思い知らされました



病院と自宅にしか居場所が無く、親や親友との会話もほとんどないケースは

注意が必要だと個人的に思います



信頼できる誰か定期的に悩みなどを話せる相手が欲しい



できればそういった相手や場所をいくつか持っていることが理想的



そういう場合、主治医に話してみれば、話を聞いてくれる相談機関など色々な情報を

提供してくれるかもしれません



小さな依存先をたくさん持つ



個人的に、これが大切だと思います





お わ り

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