#005 貢献と期待
ずっと目標としていたアパレル業界には入ったけど、
希望職種には就けなかった
2008年9月に起きたリーマンショックの翌年2009年4月、ようやくアパレル業界で働くことになりました。
しかし、当時はとても複雑な気持ちでした。
大学を卒業した後に、内定をいただいていた会社を直前で辞退までして、デザイナーになるためにわざわざ3年間も夜間の服飾専門学校に、しかも新聞配達奨学生をしながら通ったのに結局は営業職、
なんのために3年間服作りの勉強したんだろう。
大卒のときの会社で働いてりゃよかったじゃん。
とはいえ、世の中はリーマンショックで大不況。
多くの会社で『ワーキングシェア』という働き方(少ない仕事をみんなで分け合う働き方。週休3日の会社も結構あった)が取り入れられていた時代。
行きたい業界に行けただけでもまだマシっていう気持ち。
あの年の卒業生はアパレルに就職できずフリーターになる人もたくさんいました。
実際に働き出してみてとにかくまず最初に感じたのは、
「世の中不況なんだな・・・」ってことですね。
リーマンショック以来赤字を抜け出せておらず、営業部や会議ではではとにかく『赤字赤字』の言葉が飛び交っていました。
加えて、ワーキングシェアが導入されて、週休3日の週もあり、入社した年はボーナスもありませんでした。
当時(2000年∼2010年頃まで)の洋服の主な生産拠点はまだ中国。
(のちに東南アジア、バングラディシュへ)
国内生産していたデザイナーズブランドも生産拠点をどんどん中国に移しました。
日本トップ級のブランドも全てではないにせよ【made in china】の服を出し始めました。
国内生産の高級ブランドを中心に仕事をしていた会社だったので、仕事はより安い海外へどんどん持っていかれる苦しい状況でした。
『早く一人前の営業マンになって会社の売り上げに貢献したい!と思うようになっていきましたね。自然と。
デザイナーはとりあえず忘れて営業の仕事に集中しました。
早く仕事を覚えて会社に貢献したい、そんな気持ちがやりがいに繋がっていきましたね。
赤字続きの苦しいときに雇ってくれたということに恩返ししたいという気持ちもありました。
それなりに期待もされていたのかな、と思います。
「貢献したい」「期待される」という気持ちは『やりがい』につながるということですね。
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