ピアサポーター
2022年3月25日3 分
吃音と双極性障がいの症状悪化に伴い、10年住んだ東京を離れることになった私。
そして吃音症克服を目指してクローズで話す仕事にチャレンジするも、立て続けに失敗し絶望状態に。
そして4年半のひきこもりの末、過量服薬の上意識を失い精神科の閉鎖病棟に入院することに。
意識が戻ったとき、私の眼には真っ白な天井が見えました。
そして、「ここはどこだか分かりますか?」「今日は何月何日か分かりますか?」
と聞かれました。
私はそう答えました。
女性「ここは●●病院、今日は2月4日だよ」
私の記憶が残っていたのは1月の終盤あたり。
約1週間の月日が流れていました。
両手両足は拘束され、両腕には無数の点滴の針の跡がありました。
私が入院した閉鎖病棟はほとんどが高齢者。
80歳以上の患者もたくさんおり、中には100歳の方もいらっしゃいました。
20代の患者さんも2人いましたが、会話ができるような状態ではありませんでした。
看護師さんと話をしていてもすぐに呼ばれてどこかに行ってしまい、
まともに会話ができない・・・
スマホも持ち込み禁止、病棟から出ることもできない。
脳の回転が戻らず、本も新聞も読めない。
21時消灯で長い長いつらい夜。
そのような状況で、両親が3日おきくらいで交互にお見舞いに来てくれました。
基本的に入院用のパジャマ姿の患者と、ナース服の看護師しかいない病棟で、
しっかり着飾った両親の姿は私に外界を感させ、父のジャケットは不思議な頼もしさを
感じることができました。
ほとんど何もできない状況下で、
いつしか私は親が来てくれる日を心待ちにするようになっていました。
普段は大して会話のない父親でさえ会いたいと感じるようになりました。
スマホがないのでいつ来るか分からない。
病室の窓越しから両親の姿が見えると強い安心感と心強さを覚えました。
そして、帰る時にはもっといて欲しいと思いました。
生まれて初めての感覚。
初めて心から両親に会いたいと思いました。
『両親だけは自分に何があっても守ってくれる』と思えました。
この感覚を得られただけでも、つらい入院生活の価値は十分あったのかもしれません
薬を過量に服薬して入院してしまったことはとても辛い経験でした。
しかし、その後、入院中の主治医に精神科デイケアを紹介され、
多くの当事者仲間や福祉従事者の助けを借りながらどんどん回復。
入院から3年かかりましたが社会復帰も果たしました。
私にとってのつらい入院生活はとても重要な出来事だったのだと思っています。